やる夫は島津四兄弟の次男のようです 外伝
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/12973/1257937648/280 名前:Ⅰ ◆JU1apn3AbA[] 投稿日:2009/11/25(水) 01:44:36 ID:HXtSivlE
外 伝
~ 上 井 伊 勢 守 覚 兼 ~
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281 名前:Ⅰ ◆JU1apn3AbA[] 投稿日:2009/11/25(水) 01:46:50 ID:HXtSivlE
精鋭揃いの島津家中にあって
義久の側近・上井覚兼は異質の存在であった。
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,,.....イ.ヽヽ、ニ__ ーーノ゙-、.
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【上井覚兼】
282 名前:Ⅰ ◆JU1apn3AbA[] 投稿日:2009/11/25(水) 01:48:58 ID:HXtSivlE
彼は戦で目立った功績を上げたわけでもなく・・・
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| ,,ノ(、_, )ヽ、,,.U | 私はそういうのはちょっと・・・
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ヽ ,イ ヽ :イ
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/ _ノ \ (覚兼のやつKYだろ、常識的に考えて・・・)
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. ヽ } ) ノ
/ノヘヽ ノミヽ 丿 (
片、 i | ヽ/ヽrフ |´ l/.| / _ノ
}: `l ト^ー┘ハj .丿 |,ッ´
. ハ ヽ 〉 r-//
/.: ヽ iミヽ ハ {二. ヽ
人-、 ∧::. |. ト- /iァ
. 〈_ン>_ }〈::: く 介、_ノ!
}:./-ィ.V ‐' / 弋_ン
【島津義久】
弓も苦手であったため、犬追物への参加を断り、
義久の不興をかったこともあった。
284 名前:Ⅰ ◆JU1apn3AbA[] 投稿日:2009/11/25(水) 01:51:16 ID:HXtSivlE
そんな彼が義久に認められ、島津家の重臣となったのは
覚兼の才が武人ではなく、官僚として優れていたからである。
ニニニニニニニニl
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| | r=、 、 , r ニ- ─‐'、 ´ .:::::/ 「 ̄ ̄「 ̄ ̄ ̄!
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ニニ ヽ '、'、 ' ::::i | {___l____{___
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天正四年(1576年)から老中の一員として島津家の政に携わった覚兼は
事務官僚としての力を発揮し、後に日向・宮崎城を与えられた。
285 名前:Ⅰ ◆JU1apn3AbA[] 投稿日:2009/11/25(水) 01:52:32 ID:HXtSivlE
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ニニニニニニニ . |(○), 、(○)、.:| ・・・むふふ。
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286 名前:名無しのやる夫だお[sage] 投稿日:2009/11/25(水) 01:53:15 ID:1VjxnTVQ
おいおいw
287 名前:Ⅰ ◆JU1apn3AbA[] 投稿日:2009/11/25(水) 01:54:05 ID:HXtSivlE
覚兼は教養人としても優れており、連歌・俳諧・茶の湯・立花・蹴鞠・狂言・幸若舞・乱舞・
小唄・平家琵琶など、武士というよりは公家が嗜むような文芸にも非常に興味があった。
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└─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┘└─┘(※麻雀は嗜んでいません。)
289 名前:Ⅰ ◆JU1apn3AbA[] 投稿日:2009/11/25(水) 01:55:53 ID:HXtSivlE
そんな彼が記したのが「上井覚兼日記」である。
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_(,,) 上井覚兼日記 (,,)_
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290 名前:Ⅰ ◆JU1apn3AbA[] 投稿日:2009/11/25(水) 01:58:22 ID:HXtSivlE
「上井覚兼日記」は覚兼が天正二年(1574年)から同十四年(1586年)にわたり
書き記した日記であり、これは当時の島津氏の情勢や、九州諸勢力を動向などを
知ることが出来る貴重な史料である。
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|(へ), 、(へ)、.| ふふふ・・・私の日記が役に立ったようだね!
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, .:| 戦国ヲタのみなさん・・・♪
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\ `ニニ´ _/
(`ー‐--‐‐―/ ).|´
| | ヽ|
ゝ ノ ヽ ノ
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またこの日記には、覚兼が嗜んでいた文芸についての記述もあるのが特徴である。
291 名前:Ⅰ ◆JU1apn3AbA[] 投稿日:2009/11/25(水) 01:59:49 ID:HXtSivlE
また覚兼はこの他にも、自分の半生記ともいうべき「伊勢守心得書」を残しており、
とにかく筆まめな男であった。
メ _|\ _ ヾ、
メ / u 。 `ー、___ ヽ
/ // ゚ 。 ⌒ 。 ゚ u / つ
/ //u ゚ (●) u ゚`ヽ。i l わ
l | | 。 ゚,r -(、_, )(●) / ! ぁぁ
ヾ ! //「エェェ、 ) ゚ u/ ノ あぁ
// rヽ ir- r 、//。゚/ く ああ
ノ メ/ ヽ`ニ' ィ―' ヽヽヾ ぁあ
_/((┃))_____i |_ ガリガリガリガリッ
/ /ヽ,,⌒) ̄ ̄ ̄ ̄ (,,ノ \
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292 名前:Ⅰ ◆JU1apn3AbA[] 投稿日:2009/11/25(水) 02:01:46 ID:HXtSivlE
しかし島津家が次第に九州統一への戦いに重きを置くと、
元々戦の才能があるわけではない覚兼の活躍の機会は減っていく。
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ヽ/'''''' '''''':::::\ノ
( ;:;:;:;:;:;:;ノ 、( ;:;:;:;) イタタタタ・・・
| )、_, )ヽ、,,.::::|
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天正十四年(1586年)の岩屋城攻めでは配下の衆と共に重傷を負う。
293 名前:Ⅰ ◆JU1apn3AbA[] 投稿日:2009/11/25(水) 02:03:45 ID:HXtSivlE
また義久から遅陣を激しく叱責されたこともあった。
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(ヽl_l_ll_l,l
ヽ r
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|/ ̄ ̄\
/ \ ノ
| ( ●)(●) 遅れるとはどういうことだ・・・!!
. | ノ( (__人__) 覚兼・・・!!
| ⌒ ` ⌒´ノ
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ヽ ノ \
l/ く \ \
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| |ヽ、二⌒).、 \
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| ( )ill、( )、ι| も、申し訳ございません・・・
| ,,ノ(、_, )ヽ、,,U |
| il| ,;‐=‐ヽ .:::::|
\ `ニニ´ .:::/
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この頃、義久からの寵愛にも陰りが見え始め、島津氏が豊臣秀吉に降ると
所領の宮崎も没収もされ、覚兼は薩摩・伊集院に地へ隠棲。晩年は不遇に過ごしたという。
294 名前:Ⅰ ◆JU1apn3AbA[] 投稿日:2009/11/25(水) 02:05:54 ID:HXtSivlE
天正十四年(1586年)十月十五日の時点、「本日豊後へ出陣」というところで
覚兼の日記は止まっている。
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上井覚兼が死去したのはその三年後の
天正十七年(1589年)の六月十二日であった―――――
外伝・上井伊勢守覚兼/完
本編へつづく…
295 名前:Ⅰ ◆JU1apn3AbA[] 投稿日:2009/11/25(水) 02:06:23 ID:HXtSivlE
≪やる夫は島津四兄弟の次男のようです≫
~外伝・上井伊勢守覚兼~
◆CAST
島津義久/やらない夫
上井覚兼/ダディクール
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